金石書画を目指して養生するブログ

書、画、篆刻を学ぶ過程で中国の古典に触れ、将来立派な文人になれるように今から養生していく様子を書いたブログです。

オナ禁307日目

美大時代に初めて作った人物彫刻

本日もいつも通り銭湯帰りのスタバからブログ投稿しております。今日は残念ながら天気が曇りだったのと、サウナが混んでいたこともあり、銭湯は早めに切り上げ、せめて貴重な休日なのでコーヒーを飲みながら寛ぎつつ、ブログをしたためようと3時前にはスタバに到着しておりました。制作の方は3週間かけて秋の太行山を書いていたのですが、色々と試行錯誤した結果、経験値は多く積めた一方で、肝心の作品の出来の方はというとあまり気に入っておりません。一応、来週の初めに雲を入れつつ、やや失敗した部分を修正しようと思いますが、多分完成図はアップロードしません。プリズナートレーニングの方は2〜3種目ほどstepが上がり、種目の難易度を上げた一方で回数が減り、トレーニング全体の持久力的な意味でのしんどさは下がりましたが、新しいフォームを覚えるのに悪戦苦闘しています。今週はいつも拝読させて頂いていた50代で禁欲ブログを書いていた人がブログを卒業してしまい、残念な部分もありつつ、自分も遅かれ早かれブログという形での情報発信を卒業してゆく気がしているので、長期禁欲者としては当然の流れという受け止め方をしています。という訳で、僕は僕のペースで今日もブログを投稿してゆきます。まずは今週のプリズナートレーニングは以下のようになっております。

 

日曜日: step9アシステッドワンレッグスクワット左右7回10セット step3ウォールハンドスタンド65秒~80秒10セット 縄跳び1480回 片足スクワットはフルスクワットの可動域でフォームが安定してきたように思います。step9を1セット片足20回ずつ出来るようになる頃にはstep10ワンレッグスクワットも結構余裕を持って始められるかなと思います。ただ片足スクワットのボトムポジションで左足首には余裕があるのですが、右足首は柔軟性が足りないのか後ろに倒れそうになります。やっているうちになんとかなりそうですし、怪我に繋がるような硬さではないので、今のうちは兎に角回数をしっかり増やす事を考えます。

 

月曜日: step7アンイーブンプルアップ 左右36回ずつ step8ハーフワンアームプッシュアップ 左右15回10セット 縄跳び1490回 アンイーブンプルアップの回数を伸ばすペースを懸垂の日ごとに2回ずつから3回ずつに増やしました。この日は3回ずつにしてから2度目の懸垂の日で、この日のトレーニングが終わった時点で結構前腕がパンパンになったので、握力の伸びが途中でついていけなくなってペースを戻す事になるかも知れませんが、今のところはこのペースで様子見します。

 

火曜日: step8ウォールウォーキングブリッヂ(上向き)2回8セット step3ウォールハンドスタンド55秒~72秒8セット 縄跳び1500回 前日のトレーニングによる体幹疲労もあってか倒立の時間の伸びが予想以上に遅いどころか、むしろ短くなっているので、もっとトレーニング頻度もそうですが前後日のトレーニングの兼ね合わせも工夫してやった方が良いのかなと考えています。片足スクワットや片手腕立て、ブリッヂやレッグレイズなど種目が高難易度になるにつれて、要するに懸垂以外全ての種目で体幹(というか起立筋?)の負荷が大きくなってきており、翌日に体幹の疲れが残るようになりました。もしかしたら懸垂でも今は影響が比較的小さいだけで結構体幹疲労に貢献しているかも知れません。小手先のテクニックでどうにかするのではなく、このまま回数の伸びが停滞する小康状態を保つ事で体幹が十分に強くなるまで気長にやるのもありかなとか思ってます。ウォールウォーキングブリッヂ(上向き)の方はこの日ようやく成功したので後は回数を増やしていくだけです。この日は友人と夕食後、銭湯に行ってきたので最後の2セット分は休みました。

 

水曜日: step9アシステッドワンレッグスクワット左右8回8セット step10ハンギングストレートレッグレイズ29回8セット 縄跳び1510回 昨晩友人と遊んできて遅く寝たのと、やはり体幹に疲れが残り、朝眠くて最初の2セットを寝過ごしてしまいました。大学時代に筋トレしていた時はプロテインを飲むと筋肉痛からの回復力が全然違ったのを覚えているので、早速ネットでヘンププロテイン1kgを購入しました。母親がアンチサプリメントだったのですが、最近「布団に入る前にビタミンB群のサプリを飲むと寝やすい」と言い始めたり、僕が朝起きれない事が多くなってきてるのを知っているので、なんとか説得してプロテインを飲み始めようと思っています。

 

木曜日: step7アンイーブンプルアップ 左右39回ずつ step8 ハーフワンアームプッシュアップ 左右20回3セット step9レバープッシュアップ 左右5回7セット 縄跳び1520回 アンイーブンプルアップの回数を増やすペースを3回ずつにしてから3度目の懸垂の日を迎えましたが、今のところこのペースで問題ないようです。プッシュアップの方はstep9になんとか移行できましたが、始めたばかりなのでstep10に向けてフォームとかこれで合ってるか心配です。

 

金曜日: step8ウォールウォーキングブリッヂ(上向き)3回8セット 2回1セット step3ウォールハンドスタンド 69秒~78秒10セット 縄跳び1530回 倒立は以前無理して更新した最長記録は更新出来てませんが、徐々に平均時間が長くなってきました。プリズナートレーニングをしている他のブロガーの記事を見ると、ハンドスタンドプッシュアップのstep7で片手倒立が出来なくて詰んでる人が居たので、僕はこの倒立で上級者の目安である2分をしっかりクリアしてからstep4に進もうと考えてます。ウォールウォーキングブリッヂ(上向き)の方は9セット目は2回しか出来ず、10セット目に至っては1回も出来ませんでした。しかし最も難易度が高い部分である最初のブリッヂの状態で床から壁に手をかける最初の一手目を左右どちらの手でもいけるようになったので、その時点からはバランスを考えて左右交互にやるようになりました。

 

土曜日: 縄跳び1540回 この日は高校の頃の同級生と久々に集まってバーベキューをしました。ゴキブリポーカーというカードゲームで盛り上がりました。

 

日曜日(今日): 散歩30分 


人生に於ける出口戦略的な情報を定期的にアウトプットし始めると、昔の学のあった高齢者は、若者に成功後の出口戦略を教えられる期間=寿命だったのもあって、教えると同時により必死に学習もし始め、そういった人達が落ち着いた学問が儒教道教史記といった代々伝わるアルファ雄の争いに関連する資料だったりして、それを学びながら若者に教え、教材を一気に教え過ぎても生徒はそれを覚えきれなかったり、教師自身の引き出しが少なくなることに対し不安を覚えたりするので緩急つけて情報を小出ししつつ、後世の同じようなルートを辿る学習者のことも考えて、自分の人生経験に於ける教訓を教材に足していって、そうやってどんどん密度と量が濃くなっていったのが中国の古典なんだなという認識で絵を描く片手間でブログのネタにしようと漢籍の日本語訳を読んでいます。

 

昭和の終わりの頃に帝王学ブームみたいのがあったようで、その時流行った中国の古典が「貞観政要」という本だったようです。本の背景を短く説明すると統一王朝としては289年と、中国の歴史上最も長く続いた唐王朝が何故そんなに上手くいったのかという理由を、唐王朝の創業も手伝った二代目太宗でもある李世民という人とその家臣とのやりとりから推し測ろうとした本で、内容としてはまず王は臣下の諫言を聞き入れる器の大きさが必要で、臣下は自分の立場が危うくなるリスクを取りつつ、王の機嫌を損ねて、下手をしたら殺されるかも知れないような諫言を、嫌がられながらクドクドと述べる嫌われ役を買って出なくてはならないという様な内容になっております。

 

こういう内容は「こうしなければ滅びる」的な内容なので、逆説的に「こうすれば滅びる」という内容でもあり、貞観政要を例にすれば、諫言を甘んじて受け入れる器のある王と、身を滅ぼす可能性のある耳の痛い諫言を敢えて言ってくれる良臣という関係を崩せば良いわけで、具体的には王が崩御して息子が即位した時などに、幹部に太鼓持ちをねじ込こんで若く経験のない王をヨイショして気持ちよくさせる一方で、本当に王の行末を心配して諫言を言ってくれる人を煙たがらせる事で、太鼓持ちイエスマンがデカい顔をする状況に陥らせる事が出来れば、その王朝は崩壊秒読みと言えます。中国の王朝が歴史を下れば下るほど教訓が増えるので、新しい統一王朝の方がより長く維持出来るだろうというのは、理論上はある意味正しいのですが、それは守成をしてゆく上で、帝王学や体制教学的な学問を修め、尚且つ現王朝をひっくり返して新王朝を起こす為に、それを逆手にとって王朝を衰退させる搦手を使ってくる見えない敵が存在しないという仮定の元であって、そういう結論に達すると体制教学的な学問も、徐々にエジプトの支配層であったファラオの教育のように、エソテリック(身内だけに教える学問)とエキソテリック(大衆に教えるためのエソテリックとは矛盾した建前的な学問)に枝分かれしていきます。

 

すると例えば身内には利己的行動をするように教える一方で、大衆には利他的行動を推奨し、結果的に身内の利益を最大化する為の矛盾した教育を施すようになったりしますが、こういう事をする人は現代ではサイコパスと言われ、これはいわゆるマキャベリズムに於ける、為政者にとって本当に必要なのは美徳ではなく悪徳という文脈に繋がってきてしまいます。

 

世の中には血縁主義と能力主義の組織がありますが、血縁主義の組織では血縁がなくて能力が高い人は当然成り上がれませんので、結果的にそういう人は能力主義の組織で活躍しようとします。しかし働きながら子供を育てて自分も能力のピークを過ぎると徐々に自分の子供の将来のことを考え始め、実力主義であった組織を内側から徐々に血縁主義的な構造の組織に変えていこうというような力学が発生し始めます。

 

初代が有能であっても、二代目がそれを上回るほど有能かは純粋な確率となります。中国のエリート階級であった士大夫などは科挙試験などが導入された、より実力主義的であった時期などは、最高でも5代しか続かないという記録があったようで、確率的に後継が公平な競争をしているという前提ならばやはり続いても3〜4代が精々といったところで、逆説的に言えば10代以上も続いているエリート一家などは、そもそもどんな暗愚が生まれても周りがそれをサポートして構造を維持出来るどうしようも無い構造をしているという事が窺えます。

 

こういう血縁主義はそれこそ中国の士大夫がより血縁主義的であった時のように、組織全体が徐々に競争力を失うので、その対策としてある程度は一般人の能力がある人を呼び込むための科挙試験などを導入する事で、現代の日本で言う「能力枠」で大学に入ってくる田舎の人と「家柄枠」で同じ大学に入ってくる都会の人のような関係になっていたのかなと思います。

 

ただ、マキャベリズムに於ける悪徳に基づいたエソテリック的な学問を身につけたエリートというのは本当に危険で、こういう家柄が良いだけで器の小さい輩はアルファ雄を決める喧嘩などで、個人の才覚や器としては敵わない生え抜きのアルファ雄を倒すために、それが物理的な喧嘩であればそれこそ喧嘩後にも障害を残すであろうフィンガーロックや噛みつき、目潰しなど、一般人の間ではタブーとされる技術を積極的に研究し、喧嘩の後に発生する裁判といった大人の喧嘩でも、裁判官に賄賂を送ったり、それでも言う事を聞かなければエプスタイン島のことを知っている人なら分かると思うのですが、ブラックメールなどで言う事を聞かざるを得ない状況を作って徹底的に正義が実行されない状況を作り上げます。要するに代替わりするごとに実力のなさを補う形で積極的にタブーを研究し始める血縁至上主義のマフィア一家みたいなものになっていくのですね。

 

個人的にはエソテリックとエキソテリックに枝分かれしてからのマキャベリズムに於ける悪徳が重要と言う倫理的に危うい競争を続けるよりは、一般人も帝王学や体制教学に精通して、倫理的にも徳が優れている方が長く体制維持出来るという文脈で、観衆の勝負を見極める目が肥えてくるように上手く教育してゆきつつ正義がきちんと執行される構図を作り、徳で劣ってアルファ雄を決める争いで負けたら、潔く徳が優れた次のアルファ雄に地位を譲る方向で競争した方が健全だと思いますが、タブーを研究しない徳が高いアルファ雄と、タブーを積極的に研究する倫理的に危うい家柄が良いだけの器が小さい輩が喧嘩をすると、それこそ実力的に滅茶苦茶な乖離がない限りは当然噛みつきや目潰しといったタブーを研究している後者の方が喧嘩に勝ってしまう事は明らかで、そういう積極的にタブーを研究する輩が喧嘩後の裁判でも、賄賂や汚職などで正義が執行されない状況を作り出す事を血縁至上主義の組織ぐるみで徹底するであろう事も容易に予測される為に、そもそも徳が高い人は「徳が高いが故に」自分もタブーを使えば勝てるんだけど、それでは勝っても意味がないという「善と悪のニ極性」というテーマにおいて、それこそ何代にもまたがって非常に苦労するという、今世界で起こっていることは、分かる人には分かると思うのですが、究極的には善と悪のスピリチュアルな戦いなんだと思います。

オナ禁299日目

美大時代に行きつけのバーの常連だったジョンのスケッチ

 

今週もいつも通り銭湯帰りのスタバから、グランデサイズのドリップコーヒーを飲みつつカフェインで考えをまとめながらブログ投稿しております。今週も土曜日が晴れ時々曇りで、日曜日が曇り時々雨の予報だったので、日光浴のために土曜日に休みを取ることにしました。オナ禁も299日目となり、ついに明日で300日突破というところまで来ることが出来ました。次の節目は365日目でしょうか。気を引き締めて引き続き頑張っていきたいです。制作は秋の山水画が順調に進行中で、作品は来週までには完成した画像をアップロードできると思います。筋トレの方は今週はトレーニング種目が高度になるにつれ翌日に疲労が残るようになったり、用事などで数セット落としがちでしたが1セットあたりの回数の増加などは今のところ順調に推移しています。その一方で回数は順調に増えてるから良いかなと楽観視している自分と、とにかくもっと自分に厳しくという葛藤が発生してきました。要するに結果と過程どちらが大切かという議論に繋がって来ますが、これは以前の僕ならば間違いなく結果を選んでいたところですが、効率を求めて当時最も宣伝されていたサプリやトレーニングを色々と試行錯誤し、一方で人のコンプレックスにつけ込んで商売をしているコンプレックス産業ではそもそも根本的な問題が解決されてしまうトレーニングやサプリメントを最初から売り込むのはビジネス的にもマーケティング的にもタブーという大人の事情も理解せずに、色々試したにも関わらず思っていたほどには結果が伴わないといった若い頃の経験があって今のプリズナートレーニングに落ち着いている部分があるので、商売人の悪意やマーケティングにおいて利益を最大化させるためのマキャベリズムの存在を理解する上では失敗も含めて、そういう過程も必要だったのかなと最近は思い始めています。

 

以下は今週のプリズナートレーニングとなっております。

 

日曜日: step8ハーフワンレッグスクワット左右20回2セット step9アシステッドワンレッグスクワット左右5回8セット step8クォーターワンアームプッシュアップ 左右12回10セット 縄跳び1410回

月曜日: step6アンイーブンプルアップ 左右30回ずつ step8ハーフワンアームプッシュアップ 左右13回10セット 補助種目step6クローズプッシュアップ7回10セット ワンアームプッシュアップはちょくちょくやっているので、やっとクォーターからハーフの可動域になってきました。 縄跳び1420回

火曜日: step7ウォールウォーキングブリッヂ(下向き)7回8セット 前日にワンアームプッシュアップの可動域をクォーターからハーフにしたら翌日朝に予想以上に体幹疲労感が残っており、朝の2セットを寝過ごしました。この日もワンアームプッシュアップをやる予定でしたが、これで3日連続のワンアームプッシュアップになると現在は可動域もハーフにした為、種目の強度的に後日疲労がかなり残ってしまいそうだったので、この日はブリッヂのみのアクティブレストの日にしました。 縄跳び1430回

水曜日: step9アシステッドワンレッグスクワット左右6回9セット step10ハンギングストレートレッグレイズ28回9セット この日はいつもより遅い昼食後に親戚がタブレットの使い方を相談しに来て対応してたら、スケジュールが1時間ズレてしまい、1セット見逃してしまいました。またレッグレイズの直後に強度の上がったワンレッグスクワットをやるとボトムポジションで腹筋が攣るようになったので、種目間で少し時間を空けるようになりました。 縄跳び1440回

木曜日: step7アンイーブンプルアップ 左右 27回ずつ step8 ハーフワンアームプッシュアップ 左右14回8セット この日は友人と夕飯を食べた後、銭湯に行って来たので夜の2セットを休みました。 縄跳び1450回

金曜日: step7ウォールウォーキングブリッヂ(下向き)10回2セット step8ウォールウォーキングブリッヂ(上向き)2回6セット step3ウォールハンドスタンド 70秒~75秒8セット この日は前日にやったハーフワンアームプッシュによる体幹疲労と、夜遅くまでサウナ→水風呂→外気浴を繰り返して昨晩の寝付きが悪かったのも相まって朝起きられず、最初の2セットを寝過ごしました。倒立は週一だと70秒過ぎてから全然伸びてないので来週から複数日トレーニングします。ウォールウォーキングブリッヂ(上向き)は難しくて一度も成功しておらず、この時点では最初から地面から壁伝いにあがってこれないので、まず下方向に壁伝いで降りて行って途中で上に返ってくるというのを段階的に降りる深さを下げながら行っています。 縄跳び1460回

土曜日(今日): 散歩1時間 縄跳び1470回

 

これは今日書こうと思っていた話で、まずはゲームデザインの話から入るんですが、例えばスマホゲームの場合、CPUが対戦相手になるゲームの難易度を上げるのはゲームデザイナーの能力上の限界があるので、エンドコンテンツは必ずと言って良いほど難易度の上限のないプレイヤー同士の対戦になります。次にゲームデザインという観点から見た現代の教育のデザイン上の問題点ですが、現代の教育をデザインしている権力者はそもそも下剋上されたくないという気持ちが強過ぎて、現代の一般人には昔の人が常識として身につけていた本当の頭の良さ=どれだけライバルの考えをメタれるか、という認識を持って対人戦での強さを追求するのを避けてほしいという本音が見え隠れしているように感じます。

 

そういった権力者側の本音を通す解決策として、与えられた問題に対する答えが、動く的を射る対人戦のように常に相対的で臨機応変なものではなく、常に座学におけるテストのような動かない的を射るような、マニュアル的で絶対的なものだという誤認を一般化させる教育方針を導入しているように思います。要するにアカデミックな教育をどれだけ収めても対人戦であるアルファ雄を決める争いには関連できない構図になっており、必然的にアルファ雄に関連したければストリートの知識や経験を身に付ける必要が出てきます。

 

現環境のトップは前環境のトップメタのメタという事が出来ます。つまり「現環境で最強」というのは一時的なトレンドであって、当然のようにそれを更にメタってくる奴らがいるので常に一番に居座ることが出来る神の一手のようなものは存在しないという事です。一時的に一番になってもハングリー精神がなくなるとトレンドの変化の速さについていけなくなって、ハングリー精神旺盛な若いアルファ雄にメタられて、王座を陥落します。

 

三つ巴の戦いに於いてはメタり過ぎるのも禁物です。なぜなら深読みし過ぎた結果、そもそも全くメタってない奴に負けてしまう状況が発生するからです。グーはチョキより強いですが、そのグーを深読みして更にメタったパーを出すとそもそもその前の手で勝ててたはずのチョキに負けてしまう感じです。

 

更に例えるなら劉邦が天下を獲るのに大きく貢献した韓信が、若い頃にチンピラの股をくぐることで恥をかかされつつ喧嘩を回避しなければならなかったような状況です。これはエンドゲームに近づくと強いんだけど、生まれ育った周りの環境が低レベルすぎて、逆に実力を発揮できない状況が発生している為で、こういう人は進学など人生の自由度が高まる機会を得る度によりレベルが高い環境に能動的に移動してゆき、移動した先で遅れて無双し始めたりするので、その様子を見た他人に晩成などと言われますが、こういう人は若い頃過ごしていた周囲のレベルが低かっただけで、見る人が見れば普通に最初から有能だったりします。

 

また中華思想の頃の中国や鎖国時代の日本のように、閉鎖的なコミュニティーでメタりまくると、現地の文化や文脈を理解してない外から来たパワー系ガイジ(ン)に負けるので注意が必要です。メタりすぎて負けるのを回避する解決策は、最終的に自分が相手をメタるために、逆にメタられないように安全マージンも取った上で、自分の居るステージの数歩手前に至るレベルまで相手を教育する事です。

 

例えば大学教授が生徒に学問を教えるのは、無知な生徒でも大学教授の凄さを理解出来るレベルまでパワーレベリングする行為と言い換える事が出来ます。こういう教育を施された生徒は教授を尊敬する形となり、実は若さ頼りで物理的に教授に対してマウントを取るのが可能な状況にも関わらず、相手は年寄りで弱いから殴れば勝てるとか考えなくなるのです。僕は実はこれが教育の出発点であり本質だと思っています。年寄りが学問として若者に教えられる内容で確実に需要があるのは人生に於ける出口戦略についての話です。アルファ雄がまだ若く実力で勝っている間は良いですが、歳をとるにつれてピークアウトしていくアルファ雄がライバルに殺されずに上手くその座を去るには出口戦略として体系的な技術が必要になり、昔はその知識のために老人は若者たちに養われ生かされていたのだと思います。また生徒の才能に関係なく確実にマウントを取るために、その学問の重要性を理解出来るだけの最低限の教育を施した後は、生活を成り立たせる上で教育費を取るためという意味でも授業の度に情報を意図的に薄めた内容にして出し惜しみし、またその状態を出来るだけ長く維持するためにその教授の教えている学問そのものを否定するような形で、更に大きくメタって破壊的イノベーションを起こしてくるのを防ぐため、義務教育全体を通じて生徒達が賢くなり過ぎない程度に愚民教育を施します。

 

希少性と需要と供給に基づく競争では、喧嘩による資源の奪い合いが発生するので、喧嘩の強さが重要になってきます。ゲームの序盤では実際の喧嘩の強さではなく、体格や髪型、声のデカさや姿勢、表情など、どれだけ強そうに見えるかの演出の方が重要になってきます。なぜなら喧嘩の勝敗を判定する観衆の目が肥えてないからです。

 

以前のブログ投稿でも書いた通り、格闘技などでも競技の成熟具合で強い奴の体型が変化してきているのが分かります。日本のプロレス的な演出の延長でムキムキの選手が多かった20年くらい前のプライド時代の3ラウンドで勝負が決まっていた総合格闘技の頃と比較すると、現代のアメリカ的なボクシングのようなガチンコのスポーツの延長と言えるUFCのチャンピオンシップラウンドである、5ラウンド戦い切れるだけのスタミナのあるトップコンテンダーの体を見ると細マッチョな体型へ変化しているのが分かります。戦いの技術的内容も、初期のような各競技が他流試合を想定して考案していた初見殺しや必殺技を瞬発力にまかせてブッ放す戦い方から、現代のような皆がお互いの技術に精通している状況で、手数を多くすることで相手を疲れさせてミスを誘ってそこを攻める戦いに変化してきています。

 

普通に考えると人生において本当に大切な喧嘩は、それこそ銃が出てくるような物理的な戦争状態でもない限り、5分5ラウンドより長い事が分かります。一つ前の投稿でも書きましたが人々が人文科学的に争う平和(に擬態した戦争)は高度な戦争状態であり、それは単なる物理的な戦争状態よりもエンドゲームに近い事が自明となることから、エンドゲームに突入し始めた人生というゲームにおいて本当に強い奴になる為には、個人の強さを判定する観衆の目がこれから十分に肥えてくるであろう事を前提にしつつコスパやファッションの事も考慮すると、見た目は細マッチョくらいに抑えて、仮想敵をKOできない程度には強く想定して尚且つこちら側もKOされず、つまり確実にまずは膠着する展開を想定してから相手を疲れさせてミスを誘い、そこをお互いに攻め合うような、そんな状況に於いても先にミスを犯さない精神的なタフさというかスタミナが重要である事が分かります。これが美女と付き合いたいなどの条件がつくと、男連れの美女の目の前で刹那的にマウント取ろうと絡んでくるチンピラがスカウターで測ったときに「手を出したら危険」と認識される程度のフィジカルと瞬発力が最低限必要になってきますが、これは現地の人間の平均レベルなど環境にも大きく左右されます。

 

ところで突然話が変わるのですが、中国の国技が卓球である理由の個人的な分析をしてみました。同じアジアでも日本は相撲が国技なのに、日本よりだいぶ早い時期に武術が盛んであった中国の国技が何故卓球なのかといつも不思議に思っていたのですが、ブログの中で強さの定義の変遷を書いていてなんとなくその答えがわかってきました。そもそも卓球は対人戦なので最適解として相手の出してきた手をメタる相対的な手を常に反射的速度で正確に出さねばならず、その上たった一度のミスで点を取られ、一方で全体の試合時間は長く精神的なスタミナが必要です。他競技では強そうな選手は見た目で大体分かるのに対して、卓球では強そうな選手は見た目では分からず、むしろ卓球が上手い選手ほど一般人より弱そうな見た目をしているという矛盾点が人生とのアナロジーとして上手く成り立っている気がします。相撲が国技の日本は筋力や柔軟性など戦略よりも戦術的な一兵卒の強さにより比重が置かれていますが(より戦略的になってくる八百長などのやり取りは除く)、卓球に求められる能力はむしろ将に求められる能力に近いと思います。

 

三国志などでも、演出なしの「正史」では毛沢東的な見た目の、二時制作などでどんなに煮ても焼いても食えなさそうなおっさんが実力者ですが、演出ありの「演義」では読者のレベルを考慮してイケメンやコワモテなど強そうなイメージに寄せた、分かりやすい見た目のキャラクターを実力者に設定しています。

 

演出的な強さは、演出をされている本人がどうしても自分が強者であるという幻想を持ってしまう為、ガチの戦いに突入した時にどうしても油断を生んでしまい、長期的な戦いでは逆に欠点となりうる一方で、孔雀が逃げるのに邪魔にしかならない綺麗な羽を持つにも関わらず、それでも捕食者から逃れられるという能力の高さの逆説的な証拠となるいわゆるハンディキャップ理論と同様に、人生における競争(ビジネスや学業)でガチで強いにも関わらず、演出力の無さの為に綺麗な女性をゲットできない男は、もっと平和な世界に於いての男同士の競争に投資するはずだった資源を、相対的にある意味レベルが低い物理的な争いのための筋トレをしてスト値を底上げしたりファッションやコミュ力といった演出面に割いて投資することで、綺麗な女性が普段どれだけ常に自分よりも力が強い男の捕食者からの悪意に晒されつつ、それらから逃れることに成功しており、尚且つ一方的に搾取されずに美を維持し、群れの中の地位をキープするのがどれだけ難易度が高いことかという文脈を共有することで、綺麗な女性が綺麗でいられる努力と能力を正当に評価、リスペクト出来るようになってからアプローチしなければならないと個人的には思います。でも現実的には男同士の競争に資源を全振りすれば勝てるはずだった勝負を捨ててまで、女性にモテる為の演出に資源を割くのは一部の男性のエゴ的な意味で難しい部分もあるのかなと思いますが、実際は綺麗な女性は男が思っているほど馬鹿ではないので、演出に力を割いてる男達もハンディキャップ理論の文脈が正しいと仮定すれば、なりふり構わない100%ガチの勝負になっても十分に強い事を彼女らは知っています。

 

という感想を持つに至ったのはアメリカの美大生時代に、親が金持ちで勉強も出来るが、体も鍛えておらず服装は値段が高いことだけは分かるがダサい中国人男子留学生が、とにかく高い食事やプレゼントで(見た目がいい女でも男に比べればどうせ頭悪いんでしょ)みたいな本音をチラチラ見せながら白人女性をデートに誘うも撃沈していたのを頻繁に目撃していた為です。最後は演出は関係なく実力で全て決まるというのも事実であり正論なのですが、オタクっぽい男性が正論を言えば、アルファ雄っぽい男性よりも女性にモテるかと言えばそういうわけでもなく、それは究極的なエンドゲームであったならの仮定の話で、やはり男も少しは演出を工夫しないと女心が分からず、子孫繁栄という意味では目的のための手段に過ぎないキャリアや学業の成功よりも本質的といえる、異性関係で拗れるのを回避出来なければ男としてはやはり失格なのではないか、というのを学生時代に授業の外で学びました。負けるかも知れない伸るか反るかの勝負をしてるからこそアルファ雄を決める争いに関連できる訳で、最初から勝負をせずに安パイを取ってたら当然ベータ雄として認識されてしまう訳ですね。これはいつも思っていた事なんですが、人生において本当に重要なことはクラス内では教えてくれないんですよね。学校の授業の内容はアメリカの美大に通ってた時代も含めてほぼ全てクソでしたが、授業の外の休み時間や放課後の生徒のやり取りから色々と学べたのは事実なので、学校という制度自体は「実はその授業の内容以外の全て」が社会経験として生徒にとって非常に有用なものだと思います。

オナ禁292日目

下半身のクロッキー

今週も銭湯帰りのスタバからブログ投稿しています。今日は晴れ時々曇りの予報だったのですが、日光浴をしている間だけずっと快晴で、思わぬ収穫でした。今週はオナ禁は順調で、筋トレはそこそこでしたが、エロ禁を久しぶりに破ってしまいました。一度エロ禁を破るとエロ探しに1時間とか一気に経ってしまって、時間を無駄にしたと後悔します。エロ以外の時間の進みは最近非常に遅く感じます。分刻みで筋トレや制作のスケジュールを組んでいる為なのか、気持ちが若く保たれているのか分かりませんが、概ね良好です。制作の方は山水画を描いていたのですが、1枚目は構図が気に入らなかったので途中で廃棄して、2枚目に手をつけて2日ですがこちらは気に入っています。

 

とりあえず今回の投稿では、先週の投稿の続きで中国画の人文科学的重要性を語っていこうと思います。僕は中国画の先生に「一人前の中国画家になる為には40年必要だ」と言われたのですが、中国画を始めて9年目現在、大写意の花鳥図と山水画ではかなりのレベルに至っているという自負があります。そこで先生の40年必要という意図は何処にあったのかと考えを巡らせていたところ、先生のよく口にしていた金石書画という概念を思い出しました。金石書画というのは書、画、篆刻の全てを高い水準で修めた中国芸術家のことを指しますが、そう考えてみると確かに僕は書と篆刻は素人レベルなので、いわゆる中国の書法と篆刻を修めるのに何年必要か分かりませんが、かなりの年数かかるのは何となく理解出来ます。

 

金石書画の世界観とは一体どのような世界なのでしょうか。そもそも書法をどのレベルまで修めたら書家を名乗れるのでしょうか?僕の先生のそのまた先生である來楚生によると「楷書、行書、草書、隷書、篆書の全てを修めなければ書家とは名乗れない」と言います。次に篆刻をどのレベルまで修めたら篆刻家と名乗れるのでしょうか?僕の先生である翁祖清は特に篆刻家を名乗る条件について明言はしていませんが、彼の修めているが学問の範囲を参照してみると、彼は印篆はもちろんのこと、大篆や金文も修め、過去には存在しなかったが現代には存在する新しい文字を、金文に存在する篇や旁の組み合わせから創作したりするようです。このレベルに達した金石書画は社会との関係がいい感じに断絶され、浮世離れし始め、いわゆる中国は六朝時代の詩人、陶淵明に代表される隠逸思想に汚染され、多芸多趣味・アマチュアリズム・反俗性・孤高性・養生などの多様な文人属性が芽生え始めます。また、楷書から始まって行書、草書や隷書、篆書へと次々と各書体を学んでいき、篆書に至っては篆刻に興味が出てきて大篆や金文を修める過程で徐々に歴史を遡っていき、自然と考古学や儒教道教関連の書や、有名どころだと司馬遷史記孫子の兵法といった中国の古典に触れてゆきます。

 

こういった学問を修めた文人、特に中国における「隠逸」というのは僕が以前の投稿に書いた「ある程度以上の知性を持った人の非存在」を経験した昔の人々が、僕がパラドックスを用いて挑戦したような感じでいろんな譬え話を通じて隠逸という特定の人物像は一体どのようなものかというのを古典の中で様々な形で描いています。それらは中央の政争に疲れた文人や、儒教といった体制教学を修めているが、当時の権力者と血縁関係やコネが無かったり、評価基準が合わないといった理由で重要な役職に就けないインテリが、まずは争いを避ける為に山に入り、養生をしながら劉備玄徳が諸葛孔明の元を三度訪れる三顧の礼や、文王が釣りをしていた太公望を軍師として迎えた逸話のように、自分が仕えるべき君子が現れるのを夢見て学問を修め続け、万が一君子が現れて助けを求められ、仮にその君子が十分な徳を備えていれば天下を獲るのを手助けし、仮に天下が獲れればまた養生をしながら学問を修めつつ君子の謙虚な食客として養われながら助言を与えて体制を維持してやろうと、いつかそういった好機が来るかも知れないと準備している苦学生のような、一見したところでは一般人と区別出来ないようなインテリが居り、その様子がまるで逸脱した知性を持ったものが一般人に擬態して隠れている世界に我々は住んでいるかも知れず、尚且つ彼らの知性が我々のような一般人の知性を超越しているという定義上、彼らが積極的に隠れようとすれば我々にそれを見破る方法がないというような、そういった理論上は存在するであろう隠れた超越的知性を持った文人のことを昔の人々は「隠逸」と呼び、この概念は実は中国の春秋戦国時代からあるという、かなり古い考え方で、でも愚民教育を受けていて漢籍も読まない現代人である我々にとっては一周回ってある意味新しい世界観という、古典を読まないとこの世界観の高度さは分からないだろうな~と思いながら中国の古典に触れつつ絵を描く毎日です。

 

以下は今週のプリズナートレーニングになっております。

 

土曜日: step7ウォールウォーキングブリッヂ(下向き)4回10セット step2クロウスタンド 15秒~60秒10セット クロウスタンドは50秒を超えたあたりから下腹部が攣るようになりました。意外と腹筋を結構使うんですね。 片手腕立ての練習は2種目の日にやろうとするとすぐ忘れるので隔日にしました。 縄跳び1340回 アスファルトの上で縄跳びをしてたら地面に接触する紐の部分がどんどん細くなっていき、今使っているのが一つ1000円くらいする結構良いやつで、このペースで買い替えるのも勿体無いと思い、少しリサーチした挙句エアー縄跳びというデジタル式の紐がないやつを2000円ほどで購入してきて使い始めました。まだ最初なので正直使いづらいです。

日曜日: step8ハーフワンレッグスクワット左右15回8セット step8 クォーターワンアームプッシュアップ 左右8回8セット 今日も朝の2セットを寝過ごしました。やはり前日にブリッヂをやり込むと翌朝眠くなるパターンになっているようです。ちなみに今日は縄跳びは雨が結構強いので休憩します。でも明日以降は雨が降ってても休み癖を付けたくないので強行しようと思います。縄跳びの休憩は雨天でも週1回以内に抑えたいです。

月曜日: step6アンイーブンプルアップ 左右28回ずつ step8クォーターワンアームプッシュアップ 左右9回10セット 補助種目step6クローズプッシュアップ6回10セット 縄跳び1350回

火曜日: step7ウォールウォーキングブリッヂ(下向き)5回10セット step8クォーターワンアームプッシュアップ 左右10回10セット 今日も強い雨が降ったのですが、エアー縄跳びなら紐がついていない分、狭い玄関のような場所でも縄跳びが出来ることを発見したので、これからは縄跳びのための天気を気にせず習慣として続けていけそうです。今年の梅雨時期はどう乗り越えようかと悩んでいたので解決策が見つかって良かったです。 縄跳び1360回

水曜日: step8ハーフワンレッグスクワット左右16回×10セット step10ハンギングストレートレッグレイズ27回×10セット この日は前日にブリッヂをやり込んだにも関わらず、朝はちゃんと起きることが出来て10セット完走出来ました。段々ブリッヂの刺激に体が慣れてきたのかもしれません。 縄跳び1370回

木曜日: step7アンイーブンプルアップ 左右 3回8セット step8 クォーターワンアームプッシュアップ 左右11回8セット この日の夜は友人と久しぶりに出かけたので夜の2セットを休みました。 縄跳び1380回

金曜日: step7ウォールウォーキングブリッヂ(下向き)6回8セット step3ウォールハンドスタンド 30秒~65秒8セット 昨夜は約1週間ぶりに友人と銭湯へ行き、夜11時頃までスタバでデカフェのドリップコーヒーを飲んでいたためか、就寝が遅くなり、今朝の筋トレは2セットを寝過ごしました。 縄跳び1390回 この日も強い雨が降っていたので玄関でエアー縄跳びをやりました。

土曜日(今日): 散歩1時間 縄跳び 1400回

 

前置きも終わったので、具体的に中国画を修めることでどのように天下を狙っていくかという部分に触れていきます。僕は3/4中国人で1/4日本人なのですが、ただ日本で生まれ育ったという理由だけで自分のことを日本人だと長い間考えて生きてきました。そんな僕ですが、小中学校の社会の授業ではヨーロッパ白人は大別するとアングロサクソンゲルマン人、ラテン系やスラブ系といった人種に別れるという常識を学び、大学時代はアメリカの美大で実際に様々な人種やジェンダーの人々に囲まれて学生生活を送り、美大を囲む環境からは芸術家としてのアイデンティティーの重要性を学びました。

 

芸術家としてのアイデンティティーの重要性というのを簡単に説明すると、それは「努力では乗り越えることの出来ない参入障壁」ということです。現代の芸術家達と違い、古典的な芸術家達はあまり積極的にアイデンティティーという概念を活用せずに、その代わりに例えば10年の無名時代を経験する過程で芸術家としてのキャリアを諦めてゆく芸術家仲間を見送りながら試行錯誤を経て得た純粋な絵画制作技術を、他の制作画家志望の美大卒業生達に対する十分に高い参入障壁にすることで自分の仕事を守り抜いてきました。

 

今日の若い芸術家の多くは美大卒業後、いつか個展を開くのに十分有名になることを夢見てグループ展に参加し始めたり、恋愛をするのに都合の良い大都市に引っ越します。彼らの多くはいつか郊外に引っ越して家庭を支える為に、まずは都会である程度成功しつつ出会いを探そうとしますが、現実は厳しいです。

 

例えばニューヨークで画家として挑戦すると仮定してみてください。まずは月2,000ドルでワンルームアパートを借ります。するとその家賃を支払う為に美大卒業直後、制作以外にスキルのない彼らはキツくて時給の安いバイトを長時間働かなくてはならなくなります。するとかなりストレスが溜まるので彼らは芸術家志望の仲間と芸術談義と称して飲みに行き、金を浪費します。彼らは実際に絵を描く時間が期待していたほど確保できないことに更にストレスが溜まります。そして仮に絵を描く時間を捻出出来たとしても、その時は疲れていたり絵を描くムードではなかったりします。そしてこのサイクルを大体2〜3年繰り返して、田舎から経済的に援助してくれている両親から「そろそろ田舎に帰ってきてまともな仕事を探せ」という連絡がかかってきて、資金的な援助が途切れるので彼らはキャリアを諦めて田舎に帰り、普通の仕事に就くことを余儀なくされるのです。

 

まずまずの芸術家になれる才能はなかったりけれど抜け目がなかったり、そもそも家庭が裕福で全く働かなくても良い経済状況なのだけど、恋愛のために働いているという事実が欲しい人は芸術家としてのキャリアを早々に諦めてプロデューサーやディレクターといったマネジメント側に就きます。彼らは自分自身、まずまずの芸術家になることが出来なかったという事実があるにも関わらず、マネジメント側に着いた途端に自分が殆どの芸術家よりセンスが良いと思い始めます。

 

資金力のあるプロジェクトには政治的なアジェンダがあることが多いです。これは僕の実際の経験ですが、僕が美大卒業後に返済義務のない奨学金を探したところ、ほぼ全ての奨学金がゲイやレズビアントランスジェンダーといった性的マイノリティーに限定されているのを発見しました。当時僕はこれは海外資本による分断工作だなとピンときていました。前回のブログ投稿にも書いた通り、分断工作というのはある特定のエリアで複数の派閥が競争している時に、外部の資本がその中で最も弱い派閥を経済的に支援して、最も強い派閥の資本を消耗させます。勝負が拮抗して長期化し、その場にいる全員の消耗が避けられなくなると、この最も弱い派閥を支援していた外部資本が良心を持った第三者を装って、この外部資本を最も利するルールを押し付けて仲裁を申し出ます。これは歴史を振り返ると頻繁に起こっていることが分かります。

 

現代の芸術家は古典的な芸術家のように、実るかもわからない努力を10年間苦労して行うよりも効率的にプロになる方法があります。それが「人種やジェンダー、国籍といったアイデンティティーを利用すること」なのです。殆どの芸術家の卵がキャリアを諦めてゆくのを尻目に、性的マイノリティーや人種的マイノリティーは、海外資本によって彼らにのみ提供される返済不要の奨学金を利用して、無事に中堅芸術家になっていきます。彼らの両親は彼らのアイデンティティーが時の権力に支持されていると感じるので、普通のアイデンティティーしか持たない芸術家の両親よりも子供らの成功を待つことに対して我慢強いです。そしてこういった性的マイノリティーといったアイデンティティーを持った芸術家の影響力が大きくなるに従って、分断工作がよりやりやすくなっていきます。

 

そこで僕は重要なことに気づきます。僕の中国人の父は10人の弟や妹がいます。彼ら、彼女らは皆、中国各地から集まった配偶者とくっつき、僕と同じ年代の子供をもうけるに至りました。なので、僕はお互いに顔や体型があまり似てない従兄弟が沢山います。僕は同じ中国人間の容姿を見比べて、そこにはヨーロッパ白人と同様にアングロサクソンゲルマン人といったサブグループがあるはずだと小さい頃から考えていましたが、彼らは何故か、彼ら自身が皆1つに統一された漢民族であるという確信があり、そして漢民族は中国人の94%を占めます。これは奇妙なことですが、同時に重要な事実を示していると思いませんか?これは中国は西欧社会と違い、悪意を持った海外資本による分断工作に免疫があるということです。

 

中国の闘争の歴史は長いです。孫子の兵法によると100戦して100勝するのは戦わずして勝つことに劣ると言います。平和というのは恐らく高度な戦争状態ということが出来ます。平和という概念は本来、戦争が日常だった時代に競争相手同士が長いこと続く戦争による消耗から、次の戦争のための準備期間を設けることを両者がお互いに合意することによって作り出されました。この本来の平和の定義は現代の状況を説明するのにもかなり正確だということが出来ます。もし仮に、現代に於ける第二次世界大戦後の「恒久的平和」というのが敗戦国側による「この平和という次の戦争のための準備期間を出来るだけ長く取るために、暫定的戦勝国側との間にこれは恒久的なものですよ、と交わした一時的な政治的なポーズ」だとしたらどう思いますか?第二次世界大戦後、大国同士の武力を用いた戦争は核戦争に突入するリスクの為に避けられてきました。その結果、核兵器やそれに準ずるくらいの影響力のある物理兵器は示威行為にのみ使われるようになりました。そもそも物理的戦争は経済戦争や研究開発レースに置き換えられていき、物理的ではなくなった資本や情報を物理的戦争を通して略奪することは出来なくなりました。

 

この段階に到達すると「平和に擬態した戦争」が発生し始め、革命が進行しているのかどうか明確には分からなくなってきたり、ある国がいわゆる西欧の唱える「人権」を守っているのかどうか分からなくなってきます。ここで言う「人権」というのは先進国側が疲労なしにリードを維持出来るように発展途上国側に対して押し付けた労働倫理や労働規制の総称のことです。そこには西欧各国は倫理的に戦えば絶対に負けないと言う自負心があり、仮に負けてもそれは発展途上国側が「人権」に反したからという言い訳に使おうという驕りが同時に透けて見えています。

 

はっきり言うと、最初にタブーを犯した人々は、当時タブーという概念がまだ存在しなかった為、罰されませんでした。その結果、最も犯罪的な人々は殺人やレイプ、拷問や略奪による不公平なアドバンテージによって、ゆくゆくは国を統一し、王になったりしました。犯罪気質が中途半端だった者や、王自らによってタブーという概念が発明された後にタブーを犯した人々は文字通り犯罪者となりました。

 

戦争や革命は劇的な変化をもたらしますが、人々は平和に擬態した革命や戦争が起こっていることに気づきません。しかし加速してゆく変化が確かに平和に擬態した革命や戦争が起きていることを仄めかします。ただの平和の間は戦争の時と違って、目まぐるしく変化する環境に適応する必要性をあまり感じません。だからこそ実は変化に適応するよう焦らなければならないただの戦争を、「平和に擬態した戦争」によって競争相手に今は平和だと錯覚させ、変化への適応力を落とすことは、ただの戦争よりも効率的だと言えるのです。

 

基礎科学には3つのカテゴリーがあります。それは自然科学、社会科学、人文科学です。自然科学には物理・化学・生物学・地球科学・天文学があり、社会科学には政治学・政策科学・経営学・法学・経済学・社会学があり、人文科学には倫理学・哲学・美学・言語学・宗教学・考古学があります。戦争に基礎科学を応用しようと考えた時に人々は自然科学、社会科学、そして人文科学の順に優先順位を付けがちですが、それは戦争の歴史に詳しくない人々が犯しがちな間違いです。

 

例えば物理学の成果である核兵器の運用は、政治的に正しく振る舞える科学者にしかそのテクノロジーにアクセスする事が出来ないという事実のために、その結果として核戦争は起こっていません。これは同時に核兵器以上に社会にインパクトのあるであろうテクノロジー、例えば量子力学やフリーエネルギーのテクノロジーが発明されても、その技術にアクセスがあるのは政治的、願わくば倫理的に正しく振る舞える人々のみであるべきだという事実も仄めかします。この発展段階では倫理学といった人文科学の理解や、政治学や政策科学といった社会科学の理解の方が物理学や数学といった純粋な自然科学の理解よりも重要になる事が明確になります。これはテクノロジーの平和利用についてですが、前述のように平和(に擬態した戦争)は高度な戦争状態であることを考慮すると、人文科学や社会科学の優先度が人類が戦争のエンドゲームに近づけば近づくほど、自然科学と比較して相対的により重要になってくる事が理解でき、また手段を選ばずに政治的正しさや法的正しさを最大化した人々が、明文化出来ないことから罰則化も出来ず、その人の良心に委ねられてしまう倫理という基準で大きく間違えるであろう可能性の高さから、「倫理学(人文科学)」と「政治学(社会科学)」の優先順位を問われた場合、人々が倫理学(人文科学)を優先することが可能なほど賢明であることを望みますが、人文科学の戦争での重要性は実はまだ有ります。

 

という訳で、人文科学の更なる重要性を別の文脈を使って説明したいと思います。そしてそれを説明するのに、少し中国の歴史と僕の個人的な体験を紹介する必要があります。中国の歴史に関してですが、中国は漢民族以外の民族に支配された事が二度ありました。それがモンゴル人による支配と満州人による支配です。その結果何が起こったでしょうか?結果的に言えばモンゴル人も満州人のどちらとも、次世代以降の自発的な漢民族への同化が起こりました。このように、漢民族には当時の異民族による支配階級を自分達に同化させる事で「試合に負けて勝負に勝つ」懐の深さがある事が分かります。僕の個人的な経験についてですが、僕は自分が成長する過程でいつも自分のことを日本人だと認識してきました。しかしアメリカの美大で芸術家にとってのアイデンティティーの重要性を学んだことにより、卒業後日本に帰って来て自分は何者なのかと自身に問いかける期間が数年続きました。その時には既に父の親友であった中国の先生のもとで中国芸術を学んでいましたが、当時はまだ中国画の人文科学的重要性を認識していませんでした。

 

まずは日本人としてのアイデンティティーを追求するために、当時僕は「茶の本」や「代表的日本人」といった本を読みましたが、その結果、茶道の起源は中国の南州禅で、代表的日本人の一人である西郷隆盛儒教の一つである陽明学を修めていたことが分かりました。僕が日本固有のものであると理解していた文化は元を辿れば、思った以上に様々な形で中国から伝来していた事が分かりましたが、この段階ではそれでも中国人としてのアイデンティティーよりも日本人としてのアイデンティティーを追求しようと考えていました。そして日本の美大の大学院を日本画専攻で受験してみることにしました。しかし、人体デッサンの実技の後の面接の時間に、教授陣の方々から「中国画を学ぶ理想的な環境があるにも関わらず、日本画を学ぶ意味は?」と聞かれ、すぐに答えが思い浮かばず、それが原因かは分かりませんが、大学院には落ちました。なによりその質問が印象的だったのは、当然こういった質問が面接で聞かれるであろうことは容易に予測出来たはずなのに、答えられなかったという事実でした。ただ単に答えがなかったのです。そういった経緯で中国芸術に真剣に打ち込む決意をしました。そして中国画を学んでゆく過程で中国画の人文科学的重要性を認識し始めたのです。

 

何故そもそも漢民族を負かした人々が、結局は数世代かけて漢民族に同化してしまうのでしょうか?これは誰かが自分の祖先を歴史や考古学、言語学に基づいて遡ることによって起こります。そして誰かがコミュニケーションの本質的な側面が、実は情報の論理的な理解と同様か、それ以上に重要な形で、社会的にマウントを取る行為であるという事実に気づいた時に化学反応が発生します。この事実を理解すると、何故二つ以上の相反するアイデンティティーを持つ個人が特定のアイデンティティーを他のアイデンティティーよりも高い確率で優先的に選択した結果、数の上で支配的な民族と文化が出来上がるのかを説明する事が出来ます。

 

弱い雄のチンパンジーは支配的な雄のチンパンジーにマウントを取らせる事で物理的な喧嘩を避けます。内向的で賢い一方で、まだ若くアルファ雄を決める争いに関連しない男性は、コミュニケーションの目的は情報の論理的な共有であるとある意味誤解して、学生時代に於ける男性の優位性を声や表情、髪型やファッションといった会話の内容以外の全てを用いて刹那的にマウントを取る事が出来るかどうかでしか判断出来ない女性の取り合いに於いて、外交的な男性達に敗北を喫します。これは実はそのうち何人かの内向的な男性にとっては良いことです。何故なら彼らは学問を修め続ける事で戦略を磨く一方、学生時代の敗北から当時支配的だった外交的な男性の戦術を少しずつ、より洗練された形で覚え始め、戦略的にも戦術的にも彼らにマウントをとる方法を身につけ、つまりアルファ雄を決める争いに遅咲きながらやっと関連し始める事で、ついに賢い女性達が彼らの会話の内容にも注意を注ぎ始めるからです。ここで元々コミュニケーションの本質は情報を論理的に共有することであった内向的な男性と、会話の内容以外の全てで刹那的にマウントを取っていただけの男性の会話の内容の差は歴然となります。

 

人々は自分が何者であるか理解する前に競争し始めます。そして幾分か成功した者達はその成功の理由を「自分は何者なのか」という問いの中に求めようとします。文化的なコミュニケーションはまだ若く、アルファ雄を決める争いに関連しない内向的なオスにとっては多様性の理解に過ぎませんが、それは実は文化的な優位性に基づいた社会的なマウント合戦である事を外交的な男性は最初から理解しています。言い換えれば文化的闘争です。そしてこれは分かる人には分かるのですが、マウント合戦に於いてはその文化がより古くオリジナルに近い方がより優れていると言えます。何故なら幾つかの本当に古く、オリジナルで、アルファ雄を決める争いに関連する文化は群れの支配的な雄猿の論理に基づいた必要性から生じているからです。そして漢字は四大文明まで遡れる唯一の表意文字で、他の全ての表意文字は断絶し、解読不可能になりました。そしてこの「漢字」で書かれた中国の古典の内容は群れの支配的な雄猿の論理に基づく必然性によって書かれています。そして中国画の起源はそういった例えば儒教といったアルファ雄を決める争いに関連する内容を勉強し過ぎて退屈した文人が遊びで竹を書いた事が始まりです。つまり書、画、篆刻で構成された中国画は倫理学・哲学・美学・宗教学・歴史学・考古学・言語学などといった人文科学を総合させたいわゆる総合格闘技もとい「総合人文科学」と公式に呼ぶ事が出来、これは戦争の勝者のアイデンティティーを最終的に決定する文化的闘争に於いてかなり強力なツールになると言えます。

 

僕の想像の中では今更政治的正しさを考え始めている西欧の文明は、人々が人文科学的に競い合う平和に擬態した戦争を経験している世界では既にチェックメイトされています。中国人は誰が戦争で勝つかは気にしません。勝者が中国人である限りは。僕の言っている事の意味を読者の方々が理解出来ることを期待しています。

 

オナ禁284日目

王羲之の草書の形臨

今日も銭湯帰りからのスタバからブログ投稿しております。今週はアップルウォッチの週間天気予報では金曜日のみ晴れという事で金曜日に休みを取ることにしました。オナ禁は順調です。英語のオナ禁サイトでも情報収集をし始めたのですが、やはりエロ禁の重要性をかなり説いているので、エロ禁の重要性も再認識しています。どういう事かと言うと、エロもドラッグと同じ報酬系の神経に関わる習慣で、その報酬系の神経が刺激に慣れてしまうと、人は基本的にはより強い刺激にしか反応出来なくなってしまい、徐々にSMなど退廃的なフェチズムに発展したり、ドラッグと同様にキャリアや人間関係に影を落とし始めるという事で、社会は薬物中毒並みに真剣に対応するべきという感じの文章を読みました。

 

ぼくはコロナ以降アメリカの情報を毎日チェックしているのですが、最近はアメリカの某エンタメ会社が組織的に児童ポルノだか人身売買に関わっていると言うニュースが報道され始めたようで、某エンタメ会社の前に小さい子供を持つ親達が集まって抗議活動などをしているようです。児童人身売買は主に性的な人身売買が中心で、そういった犯罪の需要が高くなっている間接的な理由はポルノ中毒の蔓延が原因という言説もチラホラ見ます。某エンタメ会社はコンテンツでもLGBTQを推進する映像作品を作ることを最近発表したり、アメリカの民主党州の幾つかでは小学校低学年の性教育でオナニーの仕方を教えたり、ペドフェリアは病気ではなくゲイといった性的志向の一種という言説をどうにか一般化しようと試みているようです。小学校に社会経験という名目でドラァグクイーンを呼んでLGBTQを紹介しつつ、ジェンダーの話をして小学生達に自分のジェンダーについて混乱させたり、CRT(クリティカルレースセオリー)という白人は生まれつき人種差別主義者というような過激な教育をして、アメリカ社会の中心である白人のアルファ雄に関してはトキシックマスキュリニティー(有毒な男性性)という文脈でアメリカの白人男性は諸悪の根源みたいな教育をしてるようです。その国の大黒柱の影響力や発言力を削りに掛かるのは典型的な外国資本による分断工作の序の口ですが、そういう歴史的に繰り返されてきた海外の資本による浸透政策的な戦争のやり方が理解出来る人が、今の愚民政策のような義務教育を施されている若者の中にどれだけいるのでしょうか?分断工作というのは簡単に説明すると、複数の派閥が競争する社会に於いて、海外の資本がその中でも一番抑圧された弱い派閥を資源の上で支援して、まずは最も競争力の高い派閥を消耗させます(アメリカなどの例ではトランスジェンダーなどのLGBTQや黒人の派閥を白人のアルファ雄の派閥にぶつける)。勝負が膠着するとこの一番弱い派閥を支援していた海外資本が何も知らぬ良心を持った他所者のふりをしつつ、この海外資本を最も利するルールを押し付けて仲裁を申し出るのです。これは歴史を学ぶと何度も繰り返されている事がわかります。その一方で最近、中国が中性的な男性セレブのメディアへの露出を禁じましたよね。中国は歴史をよく理解してると思います。

 

実は僕が学んでいる書、画、篆刻といった中国芸術は、まとめて学習することでこの分断工作に対抗し得る学問の一つとなります。風が吹いたら桶屋が儲かる理論を地で行っているので、難解なその論理を説明する必要がありますが、説明を聞いたら中国芸術の深淵さが理解出来ると思います。という訳で、これから僕が成ろうとしている金石書画(書、画、篆刻の全てを高い水準で修めている中国芸術家のこと)について、長くなるのでいくつかの投稿に分けて説明しようと思います。中国芸術の凄さとか正直よく理解できんという人が殆どのはずなので、西洋人でも理解出来る序文を考えたので紹介します。

 

今から説明するのは西洋画と中国画における「空間」の解釈の違いです。

西洋画では芸術家はパースや解剖学、光源などを活用して2次元の平面に3次元の空間を表現します。それらはすべて実際には起こらなかったフィクションかも知れない宗教的なイベントが、あたかも本当にあった話であるかのように観衆に捉えてもらう為に「説得力」がある必要がありました。人々は説得力がある事と事実を混同する傾向がありますが、そもそも嘘はフェイクニュースのように人を騙すために説得力があるように意図的にデザインされているので、説得力がある事と事実であることは常に同義ではありません。しかしながら西洋画では人々のこの傾向を有効活用しています。

一方で東洋画、特に中国画では公式には物事の真髄を描くために、本質的なもの以外は描かず、そのために絵に空間が生まれたと解釈されています。そこには道教儒教といった人生経験豊富なアジアの賢者特有の、捉え所がなく抽象的で中国画をより神秘化させるような仮説が沢山あります。そのため若い西洋人の芸術家には理解し難い部分が中国画にはありますが、僕もそもそもは西洋の観察に基づく人物画からキャリアをスタートしたので、そういった外部の人達にも理解できるような文脈で中国画を解説することが出来ます。

7年間の大写意の花鳥図と山水画の練習の結果、僕には中国画が技術的にもコンセプト的にも非常に逆説的なものに見えてきました。結論から言うと中国画は絵そのものではないものについて、もしくは最も描かれていないものについて描かれています。中国画はそこに描かれていないものが、描かれているものに擬態しているのです。一見勿体ぶった言い方のように思えますが、後述の理由でこれが中国画の一番正確な描写に思えてくる筈です。中国画の大家の作品は比較的短時間で簡単に、何気なく描かれているように見えるため、観衆に中国画が西洋の油彩よりも簡単そうだという誤解を与えます。僕も西洋画から中国画に転向するまで同様の誤解を持っていました。僕は自分自身の観察に基づいたウェット・オン・ウェットまたはアラプリマの油彩の人物画の技術がかなりのレベルにあるという認識があります。そしてアラプリマの人物画は西洋画の中でも最も難しい技術の一つです。なので僕にとって中国画を文化・歴史的観点から比較した際の西洋画の優位性を考慮した場合、必然的に中国画の技術は西洋画のアラプリマよりも習得が容易になる筈でした。

そこでかなり悪戦苦闘しました。最初の頃は先生の描いた初心者向けの習作を模倣するのさえ苦戦しました。そして先生はまともな中国画家になる為には40年の修行が必要とさえ言いました。最初は誇張かと思いました。そして中国画は見た目通りではないことに気づき始めます。僕はしばらく中国画の技術面の深淵さを認識していましたが、徐々にコンセプトがシンプル過ぎるような違和感を感じました。なんというか中国画を描くのに必要とされる技術と比較して西洋画にあるような絵画の象徴性やメッセージやコンセプトの深みのようなものが足りないようなアンバランスさがありました。

中国画は技術的には明らかにまぬけな人には向いていませんが、何故こんなにも多くの大家の中国画作品が花鳥図や山であるといった純粋に装飾的で非政治的なモチーフなのか、例えばそれが平均的な中国人が如何に政治的な人々であるかを考慮に入れると説明がつかない事に気がつくと思います。そこで僕は隔月で日本と上海を行き来しながら中国画の秘密を理解しようと試みました。

僕はまず中国で最も賢い人々がどのような形で顕現するのか想像してみました。彼らは政治家でしょうか?起業家でしょうか?もしかしたら芸術家かも知れません。僕は孫子の兵法を読んでみました。するとどういうわけか当時の僕に最も刺さった文章は「本当に強い者は勝負が起こったことさえ分からないほど当然のように勝つので後世に語られない」という部分でした。この解釈は非常に興味深いです。考えてみれば中国人が好きな古代の戦争の話は大抵が少数精鋭で大群を蹴散らす大番狂わせで、人々はそれを可能にした将軍が如何に賢く抜け目がないかを称賛します。しかしより洗練され抜け目のない筈の、あまりにも順当で、一方的で物理的衝突を伴わない戦いについては殆ど語りません。

勝てば官軍、負ければ賊軍という諺が中国にはあります。中国では歴史を通じて革命で前王朝が崩壊する度に、当時の支配層のエリート一族が全員処刑されるというイベントが恒例化していました。中国の歴史上最も長く続いた統一王朝は唐王朝で289年続きましたが殆どの統一王朝は200年保たず、最初の統一王朝である秦に至っては15年で終わっています。ですから中国の人々は時の王朝はあくまでも一時的なものだという認識がありました。人々は政治的に振る舞った結果、繁栄することを信じて意図して政治的に振る舞います。しかしもしある人が自分の世代の繁栄を、いつか負けて賊軍として処刑されるリスクを取りつつ最大化する一方で、またある人が出世のチャンスを与えられつつも、子孫の生き残りを考えて目立たない生き方を選択した時、両者のうちのどちらがより政治的だといえるでしょうか?

僕はこれは興味深い質問だと思います。多くの戦争の英雄の子孫が今日まで生き残ることが出来ませんでしたが、一般人である我々は実際に今日まで生き残っています。もし過去の失われた戦争の英雄の家系が最も政治的な一族であったとしたら、実際に今日まで生き残った我々はどれほど政治的だと言えるでしょうか?

非常に政治的な人々は常に官軍に属しています。しかし彼らは万が一賊軍になった時のことを考えて、政治的混乱からの処刑や刑罰を避ける為にあまり出世することを望みません。ですから彼らは目立ちません。すると彼らは表面上は非政治的に見え、政治的混乱などにも気づかないふりをしますが、不思議なことに肝心な時には常に歴史の正しい側に立っています。

仮説の中で最も賢い人々がどのように振る舞うかを論じるのは難しいです。なぜなら彼らの知性は我々の想像の上をいくので、そのような知性を持った彼らの振る舞いもまたその定義上、我々の想像の上をいきます。しかしながら僕にはこのような仮説があります。非常に鋭敏な人々は少なくとも努めて平均的に見えるように擬態しており、あまり鋭敏ではない人々は自分を実際よりよく見せようとします。私たちはあまり鋭敏ではない人々が自分を実際よりよく見せようとするのに気付きます。何故なら彼らの擬態は十分に綿密ではない為です。しかし非常に鋭敏な人々が平均的に擬態しているのを見つけようとする時は難しいです。何故なら彼らの擬態は私たちのような一般的な知性の持ち主には気づけない程度には十分に綿密にデザインされている為、私たちは彼らを見つけることはできません。そして一般人に努めて擬態している超越的知性の持ち主の非存在を証明することは二重に不可能です。何かの非存在の証明が悪魔の証明と呼ばれていることには理由があります。私たちが既に一般人に擬態した超越的知性の持ち主に囲まれている可能性の方が高いことに気づきましたか?彼らが一般人に見えるのは彼らの知性が一般的だからではなく、私たちが彼らの擬態を見抜くことが不可能という事実の為です。

ですので僕は個人的に中国の人々や芸術を評価するときに明らかな知性のサインよりも普通に見える人々の微妙な違いに興味を持つようになりました。

また僕は中国画の題材には龍や鳳凰といった汎用的で無難なシンボルを除いて殆ど特定の宗教的または政治的サインやシンボルがないことにも気付きました。ちなみに龍は男らしさの象徴で、鳳凰は女らしさの象徴です。何故中国画には古典的な西洋画にあるような秘密の宗教的または政治的なシンボルが欠けているのでしょうか?僕はこう考えます。誰がが自宅の客間の壁に掛け軸をかける時、その掛け軸の持ち主の政治的志向が客人にバレないようにしておかなければ、肝心な時が来た場合に歴史の間違えた側に立たされることになりかねません。僕は中国画には秘密の宗教的または政治的なシンボルを描いた作品もあったことを確信していますが、それらは単に文化大革命といった不適切とされた芸術や文学が検閲されるような政治的イベントを生き残れなかっただけだと思っています。何故誰かが政治的に振る舞おうとするのかを推測すれば、それはより繁栄しようとしたからと言えます。しかし政治的な作品が政治的なイベントを生き残れなかった一方で、花鳥図や山水画といった何気なく描かれたように見える装飾的で非政治的な絵が生き残った事実を考慮すると、どちらの絵が実際により政治的だったといえるのか疑問に思わざるを得ません。中国画は一見、非政治的です。しかし非政治的に見えるというのは実は高度に政治的である症状の一つなのです。そして中国画の本当の美しさを評価する為にはその絵が何についてなのかだけではなく、何についてではないのかに注意を払わなくてはなりません。そしてあなたが正しい文脈を理解すれば、このように非政治的に見える中国画の中に政治的混乱に次ぐ政治的混乱の痕跡を見出すことができます。

そういった文脈で、中国画における「空間」というのは非常に重要です。なぜならこの空間こそが中国画のアウトラインを定義するからです。中国画は描かれていないものについて描かれています。誰かが言うように雄弁は銀、沈黙は金です。これらのことが僕にとっての中国画を逆説的に見せます。長い政治的な混乱を生き残った絵は何気なく描かれたように見える最も非政治的な絵でした。そしてその様には見えませんが、これらの絵が今日まで生き残った事実が実際問題としてこれらの絵を最も政治的な絵にします。この説明の意味が西洋の若い芸術家に理解できることを望みます。そこに何がないのかを説明するのは難しいです。何故なら私たちは何かの不在を逆説を以ってのみ説明出来る時があるからです。それはバイオレット(紫色)が黄色の不在であると述べるようなものです。それは一番それではないものの文脈で説明出来ます。バイオレットは全く黄色についてではありませんが、同時に黄色についてでもあります。

この文章は僕のオフィシャルホームページである

makotoshijo.com

より転載しました。

 

中国芸術の人文科学的重要性編(次回以降)に続く。英語が読める人は僕のオフィシャルサイトのblogページから続きが読めます。

 

以下は今週のプリズナートレーニングとなります。

 

月曜日: step6アンイーブンプルアップ 左右24回ずつ step7アンイーブンプッシュアップ 左右20回2セット step8ハーフワンアームプッシュアップ 左右5回8セット 補助種目step6クローズプッシュアップ5回8セット 縄跳び1290回

火曜日: step7ウォールウォーキングブリッヂ(下向き)3回10セット step8ハーフ(この時点では可動域で言えばハーフというより、むしろクォーターに近いです)ワンアームプッシュアップ 左右6回10セット(片手腕立てのフォームが全然出来てないので、フォームが良くなるまでは毎日やります) 縄跳び1300回

水曜日: step8ハーフワンレッグスクワット左右14回×8セット step10ハンギングストレートレッグレイズ26回×8セット step8 クォーターワンアームプッシュアップ 左右7回4セット この日は病院の日だったのでいつもより2セット少ないです。クォーターワンアームプッシュアップを4セットしかやってないのはいつものルーティンには入ってないので途中まで忘れてたからです。ちなみにこの日はいつもより2時間遅く起きました。前日に脊柱起立筋を追い込むとやはり翌日の朝眠くなるようです。 縄跳び1310回

木曜日: step7アンイーブンプルアップ 左右 26回ずつ step8 クォーターワンアームプッシュアップ 左右7回10セット 縄跳び1320回

金曜日(今日): 散歩30分 縄跳び1330回

 

最近日光浴がすごく楽しみでなりません。というのも「成果がすぐに現れるから」です。僕は格闘技観戦が昔から好きで、強そうなやつの体型を考えながら体を鍛えるのが好きです。僕が中学生くらいの頃から意識して鍛えていたのは三角筋後部やローテーターカフでした。僕が見ていた強い格闘家は皆この部分が特に発達していた印象があったからです。もしかしたらウェイトトレーニングでは鍛えにくく、スパーリングなどをしているといつの間にか鍛えられていたりする部分だったりして、誤魔化せない部分だからかもしれません。とにかく鍛え方がよく分からない箇所なので四苦八苦して今日まで研究が続いていますが、プリズナートレーニングをやっていてもやはり理屈は説明出来ないのですが、この辺りの筋肉が最近ようやく綺麗に盛り上がり始めました。

 

ヤンキーは日焼けや胸筋や腹筋が好きですが、日光浴を始めたところ段々と彼らの感覚が分かってきました。そこらへんが強く見せるためにはコスパ的には一番手っ取り早い部分だからです。彼らは常に隙あらば、かましてやろうと弱者を探しますが、そのため逆にどういう奴に手を出してはいけないかという雰囲気に敏感です。そんな彼らにとっては胸筋や腹筋がついていたり、日焼けをしている奴が強く見えるのです。彼らのテクニックは近視眼的で僕にとっては戦略というより戦術に近いのですが、正直にいうと彼らが学生時代に人間関係で刹那的にマウントを取るのが上手く、話の正しさよりも「マウントを取れる雄かどうか」でしか雄の優劣を判断できない女性の取り合いで我々のような人種よりも上手なのは認めなくてはなりません。そして若い時は学問を修めて戦略を磨き、中年にして第二の青春に差し掛かってから、昔のヤンキーの戦術をより洗練させたものを用いて、戦術面でも戦略面でも成熟させていきます。

 

そんな僕ですが、最近アジア人は実は結構強そうな奴の体型をしているのではないか説が自分の中で流れています。というのも、僕も昔は白人や黒人のように手足が長く頭が小さくムキムキの分かりやすい奴が強いと思ってた時期があったからです。僕は中学の頃にPRIDEで総合格闘技を見て育ったので、当時は瞬発力の高いムキムキの選手が1ラウンドKOとかを決めたりしてたので強いという幻想がありました。しかしUFCなどではチャンピオンシップラウンドという概念があり、例えば普通の試合ではKOか一本でなければ3ラウンドの結果に基づいて判定を出すのですが、チャンピオンになれるかどうかが懸かってくる試合では、判定に物言いがつかないように、スタミナの消耗具合で差が出やすい5ラウンドの結果の判定となります。当然、無名時代からプロの競争を見てきた結果、それでも自分がかなりの強者であろうことを前提に、それでも尚一本やKOを取れない膠着するであろう強者の存在を想定した上で、尚且つチャンピオンを目指している選手は当然5ラウンド戦える体を仕上げてきます。こういう選手はチャンピオンを目指しておらず、要するにチャンピオンシップラウンドを闘いきれない、つまりそこそこの選手で終わる3ラウンドに特化した体を仕上げてくる選手にペース配分的に予選で苦戦するように見えるので、下馬表ではあまり強いという評価になりません。一方で2,3ラウンド戦い切るスタミナなどそもそもないので一か八かで1ラウンドでKOを狙ってくるムキムキの選手はビジュアルでもファイトスタイルでも一番目立つので下馬表では最強だったりします(強さの幻想)。

 

何が言いたいかというと、競技が成熟してくると「強い奴の体型」が段々変わってくるのです。競技が成熟してない時の総合格闘技はボクシングやレスリング、サンボや柔術の選手がお互いに見たことのない技、つまりある競技が他流試合を想定して研究していたような初見殺しや必殺技、大技を相手が反応しきれないであろう瞬発力に任せてブッパなしていたので、ムキムキの選手が強い傾向がありましたが、競技が成熟してくると皆がお互いの使う技について精通しているので対策がしっかりしていて、手数で勝負して疲れさせて相手のミスを誘う戦いになってくるので自然と体型は細マッチョなスタミナ型になってきます。さらに競技が進むと総合格闘技でもボクシングでも無敗のまま引退する選手が出てきたりしますが、彼らはフロイド・メイウェザー選手やハビブ・ヌルマゴメドフ選手など、画像検索してみると分かるのですが、白人や黒人にしてはどうも頭のでかい体型なのです。

 

僕は現代の総合格闘技はスポーツとしては盛り上がる競技であるという認識がありますが、それでも戦いとしてはローマ時代のパンクラチオンの選手の方が現代の総合格闘家よりも当然強いという認識があります。というのも現代の総合格闘技はある意味不完全な格闘技だからです。当時のパンクラチオンの戦い方は噛みつきと目潰し以外全て許されるルールだったので、その結果が基本グレコローマンレスリングのような戦いでフィンガーロックをひたすら狙う競技になってしまい、あまりに地味なため観戦競技として人気がなくなり競技自体が自然消滅しました。

 

なぜグレコローマンのような戦いになるかというと、金的を避けるために腰は引き気味となり、現代の総合格闘技のように下半身にタックルすると後頭部に肘を入れられて死亡するし(パンクラチオンでは相手を殺しても反則負けにならない)、蹴りを放つと足を掴まれ軸足の膝頭を前から蹴られて障がい者になるので蹴りも出せず、その結果上半身を掴んで投げるグレコローマンスタイルとなり、そもそも指を折られると痛くてパンチも打てないし掴めなくなり、結果無力化出来るので指の折り合いになっていきました。そして当時の人達もどんな体型のやつが一番危険かというのを考えていたらしく、強い奴らの典型的な体型を彫刻として残していったのがギリシャ、ローマ時代の彫刻で、力強さを表現する時は7等身、美しさを表現する時は8頭身に分けるなど、当時から頭がでかい奴が強いという認識があったようなのです。そして当時のグラディエーターの筋トレ方法が今でいうカリステニクスで、近代のストリートワークアウトのようなパフォーマンス要素の高いものは当時のトレーニングとは乖離が進んでおり、当時の最も古典的な姿を残しているのが監獄内で受け継がれていったプリズナートレーニングという訳で、そういう経緯でプリズナートレーニングをやっています。

 

次回以降、金石書画として修める学問の重要性を説明していきますが、結論から言うと東洋が西欧に戦争で押さえつけられた当時、東洋文化は読者の皆様の歴史認識以上に洗練されていたと思ってもらって良いのではないかと僕は考えています。要するに当時アジア人達はエンドゲームに片足突っ込んでいて皆がチャンピオンシップラウンドを想定してスタミナをつけていたら、突然1ラウンドKOしか狙わないパワー系ガイジ(ン)が現れて、試合のペース配分的に当然のようにスタミナ重視のアジア人はKOされ、その負け方も想定していた膠着からの判定負けではなくKO負けという、一周回って実力に差がありすぎて負けたように見える(強さの幻想)というショッキングすぎる負け方だったから、アジア人が西欧人より劣っている幻想を持っているだけというのが分かると思います。

オナ禁279日目

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大写意のスターアップル(2×4尺)

今日も銭湯帰りのスタバからブログ投稿しております。今週は天気が悪く日光浴が出来ず残念でした。オナ禁は279日目になりました。今週は筋トレも制作も順調でした。お酒もタバコも嗜まない今、毎週末に一度スタバでグランデサイズのドリップコーヒーを頼むのが楽しみになっています(ヴェンティーサイズを頼むと夜眠れなくなります)。週のまとめをブログ投稿する日でもあり、多量のカフェインも相まって考えが纏まり、かつ1週間の頑張りを発表するカタルシスもあったりして、僕にとってこの日が1週間で一番充実してる日だと思います。最近オナ禁ブログを漁っているのですが、ある程度の長期オナ禁を成功させるとそこには例えば「積み重ねてきたコンテンツをマネタイズする為」などいくつかのシナリオがある様なのですが、ブログという形でのオナ禁の成果の発表を卒業する人が多いようです。これは僕が昔から考えていた「超越的知性の非存在を我々は証明できない」というアイデアと矛盾していないように思います。簡単に言うとある程度以上の知性を持ち始めた人々は我々がまだ理解できない理由から意図的に隠れ始め、彼らは我々よりも高い知能を持っていると言う定義上、我々に彼らを見つけることは出来ないという、何らかの「非存在」を証明するためにパラドックスを用いない限り、我々に彼らが存在しないという積極的な証拠は見つけられないという可能性の話です。僕は常々テレビや身の回りの人などを見て思っていたのですが、我々一般人の目に触れる範囲に「ある程度以上の知性を持った存在の不在」を経験していました。それもオナ禁がある程度続くと意図的なものだという確信が生まれてくるのです。

 

どういう事かと言うと、オナ禁をしながら古典と呼ばれる書物を見て思うのが、「昔の人は男に生まれた以上、禁欲をしながら呼吸法などのテクニックを通じて性エネルギーを生産的な行動に昇華することで、いずれは天下を獲ろうと努力する」のが一般的だった時代があったように思います。それが日本では戦国時代であったり、例えばそれが人の上に立つ人々であれば「覇権を維持する為」に儒教などの古典を修めて、それが今は人の下に甘んじているが徳が有り、大志を抱く若者であれば「先ずは頭を下げて年長者の居る組織に属して礼を失しない何らかの形での下克上を成功させる為」にやはり同様の学問を修めていたようです。天下を獲ろうとするのは消去法的に皆が欲しがるモノを手に入れる唯一の方法であるという結論に至ります。例えば古代中国では皆が玉を欲しがりましたが、それは「誰もが欲しがる玉を手に入れる事が出来、それを暴漢や盗人に奪われる事なくキープできる」という事実は、その玉の持ち主の徳の高さを逆説的に証明することになるからです。

 

同様に男性であれば、ある特定の集団に属して、その中で最も理想的な女性とくっついて恋敵からその女性を奪われず、安全に子育てしようと出口戦略を考えると、そもそも自分がボス猿になりたい訳ではないが、その猿山の中で一番の雌猿という資源を他の雄猿達から独占する為には、自分が直接的または間接的にその猿山の政に関わり、他の雄猿達に何らかの利益を生む事が出来ないと集団の利益を個人が独占する形となり、嫉妬などで話が綺麗に収まらなくなってしまいます。こういう人の欲望と自分の欲望の上手い収まりどころを模索できる人は「徳が高い人」と呼ぶ事が出来ます。

 

これは徳の話なので中国の古典の話ですが、現代では逆に西欧が長いこと覇権を保っていた為に、徳について長く講釈を述べ、学習者に相当な負担を強いていたにも関わらず、一時的に西欧に負けていた中国の学問の求心力が弱まる事によって、逆に民衆を治めるためには西欧の君主論といったいわゆるマキャベリズムのような悪徳を持つ事が競争力につながるといった文脈に説得力を持たせていました。

 

マキャベリズム的な文脈で言うと、自分を高めるのには限界があるため、他の人の能力を積極的に下げる事で結果的に自分が猿山のボス猿になろうとします。これは近代の過激なインターネットポルノの蔓延によってオナ猿を増やす事で競争相手を弱める事で、本来そういう器ではないボス猿(仮)が覇権を維持しようとする試みのように感じます。またこのボス猿(仮)は器としては一部のアルファ雄に敵いませんが、そこは天命に抗おうとします。例えばそれが物理的な喧嘩なら、このボス猿(仮)はフィンガーロックや目突き、噛みつきといった、喧嘩後も相手に障害を与える危険性のある、一般人の間ではタブーとされる分野について熱心に研究し始めます。何故なら正攻法では一部のアルファ雄に勝てない事が分かっているからです。ある程度以上洗練された社会では物理的な喧嘩の後にいわゆる裁判といった「大人の喧嘩」が存在します。勿論、目突きや噛みつき、フィンガーロックなどの相手に障害を残す可能性のある危険なテクニック、いわゆるタブーを喧嘩に用いるような手段を選ばないタイプのボス猿(仮)のような奴は裁判官を買収したり、深刻な汚職と腐敗によって大人の喧嘩でもいわゆる正義が執行されない状況を作り出そうとします。現在のウクライナでのバイオ兵器研究所など、西欧は常にこういった戦争後の戦争裁判で不利になる材料のような、出口戦略を考える能力の高い、要するに徳の高い人が当然手を出さないであろうタブーの最先端を積極的に研究し、なおかつ徹底的に正義が執行されないように幾層もの保険をかけることで天命に抗おうとしている節があるように思います。という話をするとこれは陰謀論ではないのですが、最近中国の真似をして「政治的正しさ」を輸入し始めた西欧のリベラルメディアに検閲されてしまい、これは物事の本質に近づき始めた長期オナ禁者達が消える現実的な一つのシナリオのように思います。

 

以下は今週のプリズナートレーニングとなります。回数は1日10セットのトータル回数です。

 

日曜日: step8ハーフワンレッグスクワット左右110回 縄跳び1220回

月曜日: step6アンイーブンプルアップ 左右20回ずつ step7アンイーブンプッシュアップ 左右145回 縄跳び1230回

火曜日: step6フルブリッヂ25回 この日は突然友人の誘いで半日ほど東静岡駅前の岩盤浴付きスーパー銭湯に行くことになりました。昼から出かけたので縄跳びも休みです。

水曜日: step8ハーフワンレッグスクワット左右120回 step10ハンギングストレートレッグレイズ250回 縄跳び1240回

木曜日: step7アンイーブンプルアップ 左右 22回ずつ 縄跳び1250回

金曜日: step6フルブリッヂ44回 step7ウォールウォーキングブリッヂ(下向き)2回×3セット step1ウォールヘッドスタンド 85秒~120秒9セット step2クロウスタンド 10秒1セット step7ウォールウォーキングブリッヂ(下向き)の1セット目は失敗したのでそこは0回で計算してます。そしてこの種目を2回×3セットやったら4セット目から出来なくなりました。事前に予定してたペースでブリッヂが出来なかったのは久々で、それだけ高難易度になってきたという事だと思います。ウォールヘッドスタンドの方も時間を伸ばすペースが早かったらしく、最後の方のセットはかなりキツかったです。これから毎週金曜日は週末直前の踏ん張りどころの日になりそうです。ブリッヂとハンドスタンドプッシュアップはプリズナートレーニングの6種目の中でも特にバランスや技術が必要なスキル寄りのコンディショニングだと考えています。縄跳び1260回

土曜日: step8ハーフワンレッグスクワット左右130回 縄跳び1270回

日曜日(今日): 散歩30分 縄跳び1280回

 

最近は体の調子も良く、脂肪も落ちてきて少し日焼けもしてるのでまだまだ改善の余地は有るのですが結構良い体に見えるようになってきました。月に一度くらいの頻度で友人と一緒に行っている東静岡の岩盤浴付きスーパー銭湯ですが、岩盤浴で読むお気に入りの漫画を発見しました。最近歳をとってきて臨書をしたり、中国の古典を訳したものを読んだりしてるので漫画やアニメ、ラノベの内容の薄さに気づいてしまったのか、そういうメディアが楽しめなくなってしまっていたのですが、良い作者を発見しました。横山光輝という人で、代表作に「三國志」や「項羽と劉邦」、「水滸伝」といった中国の古典をコミカライズしたものがあり、とりあえず全7巻と短めな水滸伝は読み終わり、項羽と劉邦は全21巻中10巻まで読みました。

 

水滸伝のあらすじでこれはネタバレになってしまうのですが、中国各地の任侠達が道理を通して悪人を懲らしめようとしたら、その悪人と繋がっている現地の汚職役人達に命を狙われた結果、故郷を離れざるを得なくなり、そういう任侠たちが「梁山泊」という山賊集団に落ち延び、各地から集まる汚職役人達の放つ追手を仲間と協力しながら返り討ちし続けていたら時の皇帝にその功績を認められ、各々が汚職撲滅を名目に役職を授けられて各地に再び解散するという世直しサクセスストーリーなのですが、この正義を通そうとすると命を狙われるというのは、そういう器ではないのにその当時最先端のタブーを研究し続けた結果ボス猿(仮)に収まっている奴が、道理を理解している器が大きく徳の高いアルファ雄の雛達を脅威に感じて、彼らがまだ育ち切っていないうちに芽を刈ろうとしてるんだろうな、という悪徳が持て囃される時代に道理を通そうとするとやはり目立ってはいけない=長期オナ禁者がどんどんブログを卒業していく理由の一つになっているのかなと思ってしまうのでした。

 

 

オナ禁271日目

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大写意のスターアップル

今日も銭湯帰りのスタバからブログ投稿してます。今週は日曜日も晴れだったのですが、月曜以降が曇りだったので明日になったらワンチャン天気が崩れる可能性があったので、銭湯に行く日を土曜日にしました。今日でオナ禁は271日目になります。プリズナートレーニングはボチボチで、制作の方は順調でした。上の画像が今週描いた1×3尺のスターアップルです。結構トリッキーで難しい題材だったのですがなんとかなりました。来週は1週間まるまる使って2×4尺の大きい宣紙に描きたいと思ってます。銭湯の方は3週間ぶりの快晴ということもあり、今週の初めから週末の天気をチェックしつつ日光浴をすごく楽しみにしていました。今回は久しぶりの快晴+週末ということもあり、僕が通ってる銭湯で1番アルファ雄っぽいという理由で一目置いているよく日焼けしたナイスミドルが、僕がついた時には既に日光浴していました。

 

僕は今回の日光浴がかなり楽しみでお昼ご飯を1時間早めにし、11時30分には家を出て12時には銭湯についてUV指数の方は8という好条件で日光浴しようと準備していたのですが、このアルファ雄(仮)はそれを上回ってきたので、やっぱりオーラがある奴はこちらの考えをメタって来るなぁと思いました。いつもはサウナ→水風呂→外気浴からの日光浴というルーティンなのですが、今日はこのアルファ雄(仮)のテクニックを盗んでやろうとしばらく同じ行動を取ってました。するといつまで経っても日光浴をやめて風呂へ行ったりサウナに行く様子がありません。僕は天気の良い日にしばらく日光浴すると額に脂汗が出てきて、疲労感が出る頃がいつもの日光浴のやめ時なのですが今日は表を焼いて疲労感が出てきたら裏を焼いて疲労感が出たら表...というのを、表を3回、裏を3回繰り返して合計1時間焼いた後に撤退しました。ちなみにアップルウォッチで確認すると12時20分くらいにUV指数が8だったのが、1時間後の1時20分には7になっており、それを2時にチェックすると5に下がり、その時はまだアルファ雄(仮)は日光浴を継続していました。

 

結論を言うと快晴+週末の条件ではこの戦略は正しいと思います。というのもサウナ→水風呂→外気浴のルーティンを繰り返すとその度に混雑時の日焼けスポット争いと待ち時間が発生して時間ロスするからです。UV指数的に行っても12時頃は8だったのが、1時20分には7に、2時には5に下がる事から混雑時に一番効率が良いのは12時〜2時に一度に裏表を交互に2時間焼くのが良さそうです。特にこれから梅雨になると快晴+週末の好条件が揃うことが稀になるので少ないチャンスを有効活用していきたいです。今日は日光浴を1時間通したので疲れてその後のサウナ→水風呂→外気浴のルーティンは2回しか出来ませんでした。その結果、2時10分には銭湯を出て2時30分にはスタバに着いたので、これから徐々に日光浴を2時間ぶっ通しで出来る様にして3時~3時30分に銭湯を出る様に調整していきたいです。

 

今週のプリズナートレーニングは以下の通りになります。回数は計10セットのトータル回数です。

 

月曜日: step6アンイーブンプルアップ 左右12回ずつ step6クローズプッシュアップ20回×2セット step7アンイーブンプッシュアップ 左右30回ずつ この日は3ヶ月に一度だけのアルコール解禁ということでビールを飲みに行きました。縄跳び1160回 この日もこの1つ前の日と同様に雨が強かったのですが2日連続で縄跳びを休むのは習慣付けのためには悪手だと思い、雨の中強行しました。

火曜日: step5ハーフブリッヂ 108回 先日のビールで眠りが浅くなった様で朝の2セットを寝過ごしました。酔った時の高揚感もあまり無く、気分が良い時間も短く、翌日は縄跳びの時に頭が痛かったりと、メリットに対するデメリットが大きすぎる事が再認識出来たので、もうお酒はしばらく止めることにます。縄跳び1170回

水曜日: step8ハーフワンレッグスクワット左右66回 step10ハンギングストレートレッグレイズ150回 この日は病院に行ったので4セット分休みました。縄跳び1180回

木曜日: step7アンイーブンプルアップ 左右 18回ずつ 縄跳び1190回

金曜日: step5ハーフブリッヂ 77回 step6フルブリッヂ 51回 step1ウォールヘッドスタンド 30秒~75秒10セット ハンドスタンドプッシュアップを始める目安となるプッシュアップのstep6をクリアしたので、新種目のハンドスタンドプッシュアップをstep1から開始しました。縄跳び1200回

土曜日(今日): 縄跳び1210回

オナ禁265日目

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王羲之の草書の形臨


今日もいつものように銭湯帰りに寄ったスタバからブログ投稿しております。今日は残念ながら雨だったので楽しみにしていた日光浴は出来ませんでした。ただアップルウォッチの天気予報では来週日曜日は今のところ晴れという予報なので、来週に期待したいです。制作や筋トレ、オナ禁を1週間頑張ったぞ!と定期的に報告、宣言するのは頑張った分のカタルシスが有りますね。インプットしたらどこかでアウトプットした方がバランスが取れる様です。オナ禁の方も265日目に到達しました。丁度あと100日で1年なので頑張りたいです。3ヶ月ちょっとなのであっという間ですね。個人的には記念日よりもプリズナートレーニングがその時になったらどこまで進歩しているか楽しみです。今週は運動は順調でしたが、今週から始めた花鳥図の題材がスターアップルという特殊な果物且つ色彩を普段よりも工夫するつもりなので調整に時間がかかりそうです。

 

以下は今週のプリズナートレーニングとなっております。回数は計10セットのトータル回数です。

 

月曜日: step6アンイーブンプルアップ左右14回ずつ step6クローズプッシュアップ160回 縄跳び1100回

火曜日: step4ヘッドブリッジ175回 縄跳び1110回

水曜日: step7アンイーブンスクワット左右80回 step8ハーフワンレッグスクワット左右45回 step10ハンギングストレートレッグレイズ240回 縄跳び1120回

木曜日: step7アンイーブンプルアップ左右 16回ずつ 縄跳び1130回

金曜日: step4ヘッドブリッジ97回 step5ハーフブリッヂ59回  step6クローズプッシュアップ165回 縄跳び1140回

土曜日: step8ハーフワンレッグスクワット左右100回 縄跳び1150回

日曜日(今日): 散歩1時間 縄跳びの方は今日は雨が結構降っていたので久しぶりにお休みです

 

儒教というか、いわゆる帝王学的なものを修めていく上で色々と考えを巡らせてゆくと、こういった学問を修める為には、まず徳や美徳といった抽象的な概念を身に付けておくのが前提条件になっているのがよく分かってきます。僕が儒教の様なものに興味を持ったキッカケは、美大時代に一番好きだった娘に人生で初めてアプローチした時に、世の中が自分の考えていた構造と違う構造をしている事に気がついた事です。僕はその当時、恋愛は自分さえ十分に真摯で真剣ならば必ず叶うと自分本位に盲信しており、真剣に結婚を考えたいような娘が現れたら練習とか抜きで一発で本気で決めに行こうと考えていたのですが、まあ今普通に考えてみれば当然なのですが、僕が実体験から見出した構造というのはアルファ雌にはアルファ雄な彼氏が既に居て当然で、実際にアルファ雌を落とすためには、そこをどうにか上手く下剋上する技術が必要で、そこで仮に下克上を成功させた後も他の男達、それもアルファ雄の卵達からそのポジションを維持し続ける技術がなければ結婚にたどり着けないor結婚できても釣り合いが取れていなければ托卵の可能性が結構な割合でチラつくという修羅の道という構造でした。宦官が皇帝に仕えるために♂を切り取らなければいけなかったのも今ではよく理解できます。

 

何故徳や美徳を身につけておく事が群れのボスになる為には必須かというと、まず群れのアルファ雄に挑んで下克上を成功させた後、王位を可能な限り(少なくとも子供が自立するまでは)維持して行かねばライバルとの競争故に子供を育てるのも難しく、また王朝を出来るだけ長く維持する為の体制教学である儒教は、裏を返せばどうすれば王朝をひっくり返せるかという方法論ともなり得るという上で、悪意を持った者や短慮な者にはそういった学問が存在することさえ気付かせてはならない側面があるからです。

 

そして儒教的な学問はアルファ雄が勝利した後に、実力的にピークアウトしていく上で綺麗に子供を育てつつライバルから殺されない様に出口戦略を考える過程で、その必要性から自然に産まれ出てくる戦略や戦術の総称の様な学問なのですが、このような学問を志す人種には2種類居て、1つは本当に好きな人が出来たので必要に駆られて、もう1つがその努力が成就するのを横で見てて自分も同じようなものが欲しくなった為という理由になっております。

 

この違いがわからない人は多いと思います。例えば僕は絵に興味があったのでそもそも絵を学んだのですが、絵を志す者というのは意外と不純な理由を持った者が多く、僕はそれをアメリカの美大で目の当たりにしたのですが、まず本来「アーティスト」というのは自然発生的で、絵に興味がある人が絵を描き始め、自分としては絵が上手くなったのに何故か売れないという経験をした後に、絵が下手なのに何故か絵が売れる人を発見し、観察していくとどうやらその理由というのがそもそも金を持っているコレクターというのは絵の質というのが実はあまり理解出来ず、絵の話題性やファッション性に基づいて買っているのではないかという結論に達し、じゃあ自分はあのファッション性が高いだけの絵の下手なアーティストよりも優れた美学を、その絵が売れる原因であるファッション性に応用、いわゆる演出的な要素にも少しばかり力を割けば、そもそも商品である絵のクオリティー自体は自分の方が優れているのでもっと売れるのではないかと、よりファッション性の高いアーティストになっていき、その結果絵は売れるしモテ始め、最終的に理想的な女性とくっつくという必然を経験した人と、それを横で目撃していて「ファッション性が高ければモテる」という表面的な部分を学習した人々がまず絵ではなく、ファッションや最新の音楽やアーティストを研究してどうすればクールになれるか、そしてその結果モテるかというのを追求し、肝心の絵のクオリティーの方は周りについていける程度には学習しているという不純な理由で絵を学んでいる人が多く、僕の行った美大アメリカでは「美大のハーバード」と呼ばれる名門だったのですが、みんなオシャレなのに絵が下手で、僕は音楽のトレンドもファッションもよく分からず、哲学や美術史なども精通してなかったおかげで批評も全然参加出来なかったので、絵のクオリティーでゴリ押しし、批評の方は1日2時間、週6でウェイトトレーニングをやり込み、「お前それサバンナでも同じこと言えんの?」的な力技を使っていたら教授に気に入られたことを今でも覚えています。

 

何というか、本能的に選択して実地でやりくりしていたら徐々にアーティスト的な存在に近づいてくる人と、それを横で見てて自分も同じ様になりたい=ただモテるという最後の結果だけ欲しいという人がいて、儒教的に言って徳が高い人と、その徳が高い人の待遇を見て自分も徳が高い人の言動を表面的に模倣すれば即ち高待遇が期待できるという短絡的な動機で行動する人は儒教的に言ったら徳が低いのですが、それゆえに徳が高い人の周囲には徳が低い人や不純な動機を持った者が多く、それこそ玉石混合という状況が発生するので、儒教のような体制維持のための帝王学、裏を返せば体制をひっくり返す方法を逆算できる学問を徳が低い人に教えるのを避ける為に、この学問の伝授は徳といった元来その人に備わっている人間性のような抽象的な資質に基づいて選別せねばならず、その一方で本当に学ばなくてはならない人は教えなくても勝手に学ばなくては生きていけない状況に自分を追い詰めるという面白い状況が発生します。